bullet020.gif2007年01月02日

■ 持つモノの傲慢 ■

持つモノは、それを持たざるモノに対して如何に傲慢になれるかを知らなければならない。

 金を持つモノは、金を持たざるモノに如何に傲慢であるか。
 連れを持つモノは、連れを持たざるモノに如何に傲慢であるか。
 能力を持つモノは、能力を持たざるモノに如何に傲慢であるか。
 大儀を持つモノは、大儀を持たざるモノに如何に傲慢であるか。
 
傲慢であることを是正する術はほとんどないと言っていい。
だから、まずはそのことを理解せねばならない。
そして、その十字架を負いつつ相手に接さなければならない。

その十字架と、相手への理解だけがその傲慢を融解させる。
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bullet020.gif2006年11月26日

■ 観察しない管理者達。 ■

うーん、最近、なんか事件が起こるとよく「監督不足」のような話が出てくるけど、
ここら辺についてちょっと言いたいことが。

基本的にさ。こーいう、「監督不足」の話が出てくると絶対に
「下が提出したモノを鵜呑みにしていた」だとか「下から提出していた書類が不正なものだった」
とかそー行った話が対になって出てくる。

例えば、高校の未履修問題で高校側が教育委員会にウソのカリキュラムを提出していた・・・とか言うのがそれだ。
あと、国の周りの話であれば金融庁周りでも似たような話を聞いた記憶があるが細かいことはわすれた。


だけどさぁ、ホントはそれってどうなのよ・・・ってのが今回のお話。


大まかに分けて管理の仕方には二種類ある。つまり、

 1.被管理者に何かを提出されて、それをチェック・指摘する方法。
 2.被管理者の様子を随時観察して、非があれば随時指摘していく方法。

前者は、学校の期末テストがそれにあたる。「できたモノに関してチェックする」と言う方式だ。
これは基本的には何か完成した際に、その完成物が水準を満たしているかどうかを判断するのに適している。
つーか、適していると言うよりも完成物のチェックする以上それ以外に手はないだけなんだが。

後者に関しては、例えば武道や新体操なんかの個人競技スポーツでマンツーマンでモノを教えるのが
それにあたる。彼らは技の反復練習や自由演技をじ〜っと観察して、ダメなところがあればその都度指導を行う。



で、まぁ、いわゆる監督不行き届きが起こるのは往々にして前者だ。

理由も結構はっきりしている。
つまり、前者のチェックってのは「完成したモノそのもの」を対象にするから役に立つのであって、
それ以外の場合は常に「チェック対象者の能力および恣意性」っつーものが常に関与してくる。


例えば、未履修の問題で教育委員会に履修表を学校が提出する例をとってみよう。

図式としてはこうなる。

管理側:教育委員会
 管理対象  :実際の時間割
 チェック対象:学校が提出する履修表
 管理される側:学校


で、手順としてはこうなる。
 1. 学校が時間割を建てる。
 2. 学校が履修表を作成する。
 3. 学校が教育委員会に履修表を提出する。
 4. 教育委員会が履修表にかかれた内容が規則と合致しているかチェックする。


ここで問題になってくるのは「時間割」を管理すべき「教育委員会」が
「時間割」には一切ふれず、それについて記載されているはずの「履修表」
についてのみチェックしている事だ。

ここでは「時間割」に対する「履修表」の妥当性は学校側の能力と誠意に依存する。
学校側の能力が足りなければ時間割が正しくても履修表が間違ってる場合もあるし、
何らかの理由で時間割のチェックをされたくない場合、「履修表」が意図的に「時間割」とは
違っているモノになっているかもしれない。

つまり、管理者がどうあがこうと、こう言う管理の仕方をしている限り
正しく管理できるかどうか「管理される側」に依存してしまうわけだ。


こういう例には枚挙にいとまがない。
例えば、CMMなりPMBOKのプロセスを中途半端に取り入れた結果、
下の人間が「上申する書類が増えた」なんて言ってるのはすべてこのたぐいの話しだし、
耐震強度偽装なり、会計報告偽証なりで「気づかなかった」なんてものこのたぐいだ。


え〜、なにはともわれ。
本当に物事を管理したかったら、結局は「下が報告してきたモノ」ではなく
「下の人間が完成に向けて作ってるモノそのもの」を管理側が捕まえて
しっかり観察するしかねぇって話しでした。

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bullet020.gif2006年11月25日

■ 仕事の3要素 ■


どんな仕事でも、究極的に抽象化すると、
下記の3つの要素しか残らなくなる。


 1) 調査
 2) 整理
 3) 成果物の作成

どんな仕事でも適当にこなせるようになるには、
この3つのに関しての技術のレパートリーと習得速度の向上
を考えて学習・教育すると良い。

なまじっかなスキルを身につけるよりもよっぽど役に立つ・・・はず。
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bullet020.gif2006年09月03日

■ 「信頼している」という言葉とホンネ ■

聞いてもいないのに他人から

「信頼してますから」

と言われた場合。




十中八九相手はあんたのことを信用してないと思った方が良い。
人間、信頼している人間にはなかなか面と向かって信頼してるとは
言わないもんだ。
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bullet020.gif2006年05月10日

■ 労働と対価 ■

久しぶりにScottさんの記事を拝見してチョットびっくり。


なんか、最近考え込んじゃってる問題と近い内容が
bewaadさんのブログで争点になって熱く議論されているらしい。
#でも実はbewaadさんのところは目を通してなかったりする。(w


しかしなんというか、公務員の問題に限らず、
どうも社会人生活を続けてて「仕事」に対する価値観
というものが何か歪んでいるような気がしている。

おいらとしては、
「仕事」っちゅーのは「労働」とそれに対する「対価」が
サービスされる側とする側で合意が取れて初めて成立すると考えている。
「対価」に対して「労働」の質が劣れば、それば客に対する詐欺行為に等しいし、
「労働」に対して「対価」が十分に払われなければ、それは奴隷働きというものだろう。

しかし、(まぁ、だいぶ昔からそうだっただろうけど)
「仕事」をする際にサービスする人とされる人とが接触しなくなるような場面では
「労働」と「対価」に関してその質を見極めるのが困難だったり、
あるいはそんなこと考えずにどちらかが、あるいは、両者が我を通して結局両者が納得いくもんじゃなくなったりするわけだ。


・・・で、じゃぁどおしたらいいかというと・・・。

・・・どーしたら良いんでしょうねぇ・・・。


…と、まぁ、最近はつれづれに考えてます。

とりあえず、久しぶりの更新でした。(ぉ

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bullet020.gif2005年11月01日

■ 「助けられている人」=「助けている人を支えている人」と言う構図 ■


まぁ、正直なところ、あんま見かけないんだが、(おいらの周りがすさんでるだけだろうか・・・?)
この構図がある意味社会の理想系なんだとおいらは思う。

社会発展の立場に立つと、常に生産者の立場に立ちがちだ。
消費者は大体の場合「どこかで生産者となっている、さもなくば消費行動は起こせないはずだ」
と言う暗黙の前提が存在することが多い。

しかし、組織管理をする立場であるのであれば、この手の前提はあえて排除しなければならない。
組織には常にフリーライダーが存在するからだ。

かれらは、常に「助けられる人」の立場に立ち、彼らを支える側に立とうとはしない。
そして、一転「助ける立場」の人間が助ける立場に立てなくなれば、
彼らに批判をあて、次の(助ける立場に立たせる)スケープゴートを探しだす。

そうすることによって、やがて「助けれられる立場の人間」は
「助ける能力があるもの」を差し置いて強者となる。

社会の停滞の原因は、アグレッシブに組織を動かす力のある人間にのみ存在するわけではない。
このように、パッシブに助けられる側にも往々にしてある。

組織においては、リーダーシップと共にフォロアーシップ重要な要素なのだ。
大衆が『愚』であることに諦観して、動く少数の人間にのみ責任や更なる行動を求める
考え方は、いずれは社会や組織に終焉をもたらすだろう。
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bullet020.gif2005年10月27日

■ 企業における「助け合い」の法則 ■

一般的に、企業において「助け合いって大事だろ?」と言われて仕事が頼まれる場合、
頼まれた人間は一方に頼んだ人間の事を助けることを矯正される。

これは、次の事実によって裏付けられる。

1.通常、企業における個人活動は金銭対労働であるため、ことさら「助け合い」を
 協調する必要は無いはずである。

2.本当に助け合えるのであれば、自分が助けを請う人間に対して「どこで助けられるか」
 を提案できるため、「助け合い」などと言う曖昧模糊とした言葉を使う必要がない。

3. 1.2.より、本当に「助け合える」人間は「助け合う」事をことさらに強調する必要はない。

Q.E.D
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bullet020.gif2005年10月24日

■ 新しい人・プロジェクトと議事録 ■

プロジェクトに対する新規参入者、それも単純にルーチンワーカーとしての参入ではなく、幾許か以上の理解を前提にして仕事をする事が前提とされる新規参入者(例えば、新入社員だとか、プロジェクト管理や設計等の交代要員だとか)に関して、業務に慣れてもらう一番確実な方法は実際に会議に出席して議事録を取ってもらうことだろう。
 逆に、自分が新しくプロジェクトに配属になった場合、いち早くそのプロジェクトになれるためには(例えば、進捗管理なんかの際に)議事録を取らせてもらえるように頼み込むことだ。「上層の事は上層で」という風習がない限りは結構頼み込まれてくれるはずだ。
 
 また、理想を言えば、自分が議論主体になるような会議でも議事録をつけるクセをつけた方が良い。(もっとも、この場合は「議事録」というよりは「会議メモ」という方が正しいだろうが。)
 
 議事録を取ることの具体的なメリットは以下のとおり。
 1) そこに関わるいろいろな人間(顧客等のステークホルダー、あるいは他箇所担当の他企業等)の言葉を「聞く耳」を作ることができる。これは特に新入社員なんかの場合、会議での応答そのものの勉強にもなりうる。そして、もう一点、これは日頃の仕事上での会話とは明らかに異質なものに対する練習である事も付記しておきたい。いくら、日常業務でセンパイや上司あるいは部下と議論し、教えを請うても、同じ業務で利害関係が生じる顧客や他社と話しをする勉強にはまったくならない。そういう意味では議事録をとるのは貴重な経験の場だといって良い。

 2) 会議の様子を知ることによって、自分のチームの対外折衝役になっている人間が、外向きにどのようにアプローチしているかがわかる。これは、今後どのようにそのチームの仕事が進んでいくかを見極めるうえでの重要なファクターだ。人によっては、別に会議場でのその人を見なくても大体どんな感じで話してるかわかるような人間も居るが、結構、会議に出るとプラスの意味でもマイナスの意味でもギャップのある人は結構居るのでやはりそこらへんを肌で感じるのも悪い事ではない。
 但し、あんまり折衝役の会議態度が酷いからって陰口はたたいちゃ駄目よ。


 3) 議事録を取ることによってそこのプロジェクトの「わかっていない言葉」がはっきりする。また、その「わかっていない言葉」を明確にする事によって、そのプロジェクトに関する理解が深まる。
 4) メモに書き取る事によって、不鮮明になっている事がはっきりする。
 
 3)と4)は「人の話を聞くときはメモをとれ」という意味では同件なのでまとめて書くが、特に長丁場の会議で一方的に聞く側に回ると、人間そんなに長い間「人の話を聴く」姿勢ではいられずに漫然と聴いてしまいがちだ。それを防ぐ上でメモを取ることは有効だ。また、メモさえ取っておけば、後でわからなかったワードを人に聴きなおす事もできる。特に回覧する議事録の場合、そこらへんに関して人に理解させる文章を書く必要に迫られるため、「聴きなおす」という行為も自然と発生するため、業務理解・顧客理解に繋がりやすい。
 
まぁ、とにもかくにも新しい人・新しいプロジェクトに出会ったら、まず議事録って事でひとつ。
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bullet020.gif2005年10月23日

■ 言い訳するための努力が組織を蝕む。 ■

件名通り。特にそれ以上言う事なし。

…というわけにも行かんわけだが、とにもかくにも「何か解決しよう」と必死こいて
あがいているように見えて、実は「必死こいてあがいてます」と言うところをアピールする
為だけの努力をしてる場合ってのは結構多い。

特に自分じゃどーしようもなくて、でも外側には何かやっとかなければ
何もしてないようにしか見られないしと言うような状況だと良くこうなる。

しかし、だ。良く考えてみるとこの種の努力は何もしないよりたちが悪い場合が多い。

なんせ、同じ失敗に向かっているのにも関わらず、努力した分だけ労力が消化されてしまっているからだ。なまじそこで労力を使ってしまったがために、事後処理がおぼつかず…となる場合もこの場合には十分にありうる。

 正直なところ、この手の努力をしなければならない状況に陥ったときには、無駄に努力せずに、失敗する事を前提に仕事のスキームを切り替える、ないし、失敗する事をあらかじめ関係各所に伝達した方がスムーズに事が運ぶ場合が多い。関係各所が失敗したときの体勢を整える時間も増えるし、時と場合によっては、その被害が及び関係各所から知恵が出る場合もあるときにはあるのだ。

 特に後者には注意する必要がある。実作業者はあまり気付かないが、作業が影響をおよぼす人々と言うのはその作業が失敗したときのスキームをあらかじめもっている場合も多い。特に長い間その仕事に従事しているチームは前任者等が失敗被害にあっているケースも多いから、余計にこの事が言える。

 しかし、だからといって今すぐにこの手の「言い訳するための努力」をなくす事ができるかと言うと、難しいだろう。なぜなら、これは人の目を気にして起こる行為であり、自分の意思だけの問題ではないからだ。

 と言う事で「言い訳するための努力」に対する対策の仕方は、行動主体が自分か他人かで異なる。
 行動主体が自分の場合は、何かそのような自体が発生するような仕事を請ける前に十分に失敗した時の想定をし、失敗したときに被害を与えそうな人間とそのときの不安について大いに語ると良い。大体の場合、自分が真剣に相手に被害を与える事を懸念しているとわかれば、相手も先んじて対策をうってくれるし、そうでなくても被害を与える事を懸念してくれる人間をおろそかに扱う事はほとんど無いはずだ。
 また、被害が出そうな場合に先んじてリスクが発言した場合の対策を考える癖をつけるのも良い。たとえ、リスク管理やトラブル管理が別の部署であったとしても、失敗した本人が先んじてその対応方法を提案できるのは悪い事ではないし、被害者に与える印象も悪いものではない。

 一方、行動主体が他人である場合、まず、その人間が誰の目を気にしているかを認識してやる必要がある。下手をすると存在しない第3者の意見におびえているかもしれない。その上でやはり、自分が行動主体であるときと同様に、失敗した場合の被害をどうやって抑えるかを話すと言い。また、いいわけ先の相手が実在する人物の場合、「言い訳する努力」をする行動主体の人間を抜いて一辺その仕事について話してみるのも良い。怠けるのを恐れて実作業者にはつねにプレッシャーを与え続けている人間でも、その人間がいないところで『他の人』と話をすると結構その仕事に対して冷静に話ができる事もある。

 とにもかくにも『言い訳するための努力』を見つけたら、その労力をもっとうまい具合に振り分けられないか考えてみるべきだろう。
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bullet020.gif2005年10月20日

■ 本当の孤独 ■

おいらの大学時代の友人曰く、

『人間は本当に一人でいるときは孤独を感じない。
 大勢の中にいて交われない自分を見出したときにこそ孤独を感じるんだ。』

と。

う〜ん、今思い返してもひどく含蓄のある言葉だ。
何かから取ってきた言葉なのかもしらんが。
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■ 叱る前に把握するべき状況 ■

前のエントリの続きです。

え〜と、とりあえず、叱る前に状況を把握しておかにゃならんという話だったんだけど、
じゃぁ、「どんな状況を把握しておかなければならないのか。」「なんで、そんな事に気を配らなければならないのか。」つーお話。

まず、把握しなければならない状況が下の2つ。それでその下に「なんで〜」って所を。

@相手が叱った言葉を受け入れられる状況か。
A相手が本当に叱られなければならない状況なのか。

@については、せっかく叱っても相手が受け入れられる状況に無ければ意味がない、下手すると逆に害を及ぼしかねない。例えば、体力のある人間やふてくされているだけの人間であれば、いやな顔はするだろうが、あんたの叱りに説得力があればそのうちいうことは聞いてくれる。だけど、弱気になっている人間や人間不信に陥っている人間を叱ってしまうとかえって追い討ちになって、引きこもりや、「失敗を隠す」人間を育成することになりかねない。

 これに関しては「受け入れられない人間が悪い」と言う人間がいるが、はっきり言ってそう思うのであれば、なおの事相手の事に口を出すべきではない。「自分の言葉が相手にどのような影響を及ぼすか。」その事に無責任な人間が人の行為に対し叱責する権利があるであろうか?
 
 確かに、確実に相手を傷つけないで行動することは難しい。・・・というか、不可能だろう。
 しかし、場合によっては自分の相手の事を思った言葉で相手が傷つく事もあるということ(さしずめキリスト教風に『原罪』とでも言おうか)を負う事を踏まえて、初めて叱責という行為は成り立つ…
おいらはそう考える。

Aに関しては、理由は誰でもわかるはずなんだが、ついついやってしまいがちだ。
そして、これはさらに注意が必要だ。自分が誤って叱ったにもかかわらず、「お前にもそう見られる責任がある」とか「俺にはそんなことはわからないからしかたなかった」だのと、自分の過ちを認めずに弁明してしまう人が多いと言う事だ。特に、相手よりも自分が上の立場であればあるほどそうなりやすい。

これに関しては、絶対にやめるべきだ。やめるべきだといってもやってしまう事もあるだろう。
でも、絶対にやめるべきだと心に刻んどいた方がいい。
なぜなら、これを一旦やってしまうと、あなたの「叱り」(あるいは忠告自体が)はつぎからは相手には「単なる罵声」あるいは「無味乾燥な空論」にしか聞こえなくなるからだ。そうなってしまえば、あなたの上司として、あるいは忠告者としての立場は名目上のものでしかなくなってしまう。

もし、これをやってしまったのなら、後日で良いから素直に謝ろう。
たとえ、相手が自分の生徒・部下であってもだ。

『叱る』と言うのは教育にとって非常に有用な手段だとおいらは思う。
しかし、使い方次第では人間関係を壊しかねない諸刃の剣であるとも。
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■ 叱る前には状況把握を。…という話をたぶん今度書く。 ■

まぁ、子供でも教え子でも部下でもそうなんだが。

自分が見えてる状況だけで叱るのはよろしくない。
叱る前には相手の状況を良く見ろと言う話。

…ホントは今日書こうかと思ったんだけど、きょーれつに頭痛いんでまた今度。

まぁ、でも表題だけでも念頭においておくとチーム統括の役に立ちます。
間違いない。(ぉ
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bullet020.gif2005年10月18日

■ Alertワード:「できる事からやらなければしょうがない」 ■


「できる事からやると言う事は、できない事は後回しにする、
 下手すると『できない事はやらない』と言う事と同じ事だ。」
 
 えっけんさん風に(おいらもしつこいな)「NGワード」としないで、「Alertワード」としたのは戦術・戦略の一環として有効な場合も多々あるからである。
 
 先に有効な場合を挙げておく。
 
 1.できる事からやって、平行して「できない事」の調査を行っている場合。
 2.できる事をさっさと片付けて、「できない事」に従事する際の不安材料を消そうとしている場合。
 
 と、まぁ、こんな感じですが。
 
 問題なのは、「とりあえず」と言ってできる事からやってしまう場合である。
 プロジェクトの上層の人間がこういった行動修正のある人間である場合、特に警戒した方がいい。
 
 プロジェクトを進行させる上で、懸念事項や認識の不一致が出てくる可能性が高いのは「現状できるもの」ではなく「現状できないもの」である。それを後回しにすると言う事は問題そのものを解決せずに - しかも、問題があるかないか、あるとしたらどういった形の問題があるのかわからない状態で - 保留していることになるので、長期的なスケジュールに対してきわめて深刻な打撃を与えかねない。
 
 下手すると、この際に長期的なスケジュールに与える影響は「できないところを調査して遅々として進まない状況」よりも深刻である。「できる事からやっている状況」と言うのは「一見、何事も問題なく進んでいる状況」をかもし出すからである。
 
 おおよそ人間と言うものは結構時間に関しては近視眼なもので一見、平穏に進んでいる状況が目の前にあると、「その向こうに問題が隠れていて状況が悪化する」という懸念を抱かなくなるものである。従って、初期に問題を発見していくのと、初期に問題を無視していくのとでは(その問題の解決の如何に関わらず)プロジェクトの進行には多大な影響が出てきてしまうのである。
 
 
 つーことで、「やれる事からやる」と言う状況に関しては、十分注意しましょう、と言うお話でした。
 
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bullet020.gif2005年10月14日

■ 働く人を消費する社会 ■

30代女性社員さんの一連のエントリの結末がこーなってるわけなんですが。

確かに考えると、2重に働く女性をバカにしてるな。こー言う記事って。

具体的に言うと

1. 働いている人間よりも、働かずに何か面白い事はないかなと探しているような暇人を「輝いている」と持ち上げている。
2. 初歩的な知識だけ教えて本当に働いている人間と同様に働けるかのような印象を与える。

どちらにしろ、働いている人間をだしにして働かなくて良い人間が消費する。
これも、働く人間を消費する社会の一旦か。

しかし、青山の例にしてもCREAの件にしても、30代女性社員さんはいいセンスしてるねぇ。
おいら、こー言う人のしたでいっぺん働いてみたいわぁ・・・。

--------------

働く人を消費する社会と言う事でもうひとつ。


選挙直後あたりだったかにfoursueさんjabberwockさんがいわゆる格差社会の話について
まったく反対の意見だったのを見た覚えがあるが、この格差論というのがおいらにはどうもなじまない。

つーか、正直なところ、格差でどちらかに成否がつくと思おうと思うのは
数字しか目に付けない愚か者の考え方でしかないと思われる。

確かに、強者と言うのが厳密に社会貢献して収益を得ているものであれば、それは格差が広がってもやむなしであろう、強者が社会に貢献している以上、いずれは、その社会に属している弱者にも利益が還元される。
 しかし、これはあくまで強者と言うものが社会に貢献しているものである前提があるとすればだ。一旦、社会が働く者を消費するようになり、働く人間から収奪する人が強者になれば状況が一変するはずだ。むしろこの場合、他者を搾取して強者になると言う時点で戦争状態となんら変わらなくなるわけだ。
 
 逆に、格差をなくす方向はどうだろう。実はこれも同様のことが言える。この場合、逆に弱者と言うものがキーになる、格差をなくす場合、常に弱者と言われいている人間が社会貢献をして収益をえるための不断の努力を要求される、(これは例えば、障害者のような先天的な弱者でも変わりはない、)この努力が放棄されると、この場合は弱者が収奪者としてはびこるものとなる。
 
  つまり、格差が広がろうが狭かろうが働く人間に対して報酬を還元する社会を作らないといずれにしても働く人間を消費する社会が出来上がってしまうのだ。
  
 これは、結局、社会というネットワークのトラフィックスの適正化によらず、トラフィックスの総計によって社会の状況を判断しようとする試みの欠陥に他ならない。
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bullet020.gif2005年10月12日

■ デスマと情報パイプ ■

しかしながら、デスマの匂いがする(あるいは既にデスマに突入している)プロジェクトに関わる時に常々感じるのは、こういうプロジェクトはいつも全体の情報パイプが詰まった感じになっていると言う事だ。


理由はさまざまだが、列挙できるだけ列挙してみる。

1. 上流にいる人間が情報を把握してない。
2. 違う言語文化を持っている組織が参入していて、意思疎通が取れない。
3. そもそもステークホルダー同士が意思の疎通を取る気がない。
  または、相手の意思を確認するつもりがない。
  (さらに言えば、意思の疎通を取ると言う事がそもそも念頭にない。)
4. プロジェクト下流が弱気になっていて、発言・質問する事を恐れる。
  ないし、そういう環境がじょじょに構築されていく。
5. 情報の所在がはっきりしない。あるいは、存在確認が取れない合意文章がある。
6. 上流の内容が決定しない内に下流工程が始まる。
  下手をすると下流工程が上流工程の仕事を肩代わりしようとしている。
7. ほぼ6と同件だが、上流の時点で失敗が確定している。
  上流に関わる人間が失敗を認めたくないがためにプロジェクト全体の計画が見直されない。
  (結果的に、「決まっているはずの情報」が下流工程では見当たらなくなる。)
8. 上流の人間が下流の人間に意思の決定や提案を請求し「続ける」。


…あ〜、挙げるときりねぇな。
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bullet020.gif2005年10月08日

■ 人間の強さ ■

鉄壁に見える人間ほど、意外ともろいものさ。
案外、自覚があって弱い自分を隠したいために鉄壁に見せている人も居る。

本当に強い人間はしなやかで柔軟なものさ。

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関連して、

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その人が強い人間か弱い人間かを見るにはその人の行動を見ればいい。
弱い人間は法だとかルールとか、とにかく何か硬いもので社会をがちがちに固めようとする。
強い人間は、そんなものが必要の無いように人を柔軟に育てようとする。
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bullet020.gif2005年10月01日

■ NGワード:「自戒をこめて」 ■

『謝罪や感謝の言葉を軽々しく扱うな。言葉が風化する。』


---
え〜、なんとなくタイトルはえっけんさんの「むだづかいにっき♂」風に。(w

おいらがブログを読んでてむかむかするワードに「自戒をこめて」と言うものがある。

はっきり言おう。

発言上で「自戒をこめた」としても、だれもなにも得はしない。
単にその発言者とその発言者にシンパシーを感じる人間の自己満足にしかなりえない。

よしんば、その「自戒をこめた」発言をした人間が「自戒しなきゃならなかった発言」で
誰かを批判してたりした場合、この「自戒」はともすると批判対象となってた人間に対する
責任からの「逃げ」となりかねない。


自戒をするなら、自戒しなきゃならなかった事に対してちゃんと直ってるか継続的に確認してもらえ。
そして、自戒する前に「自戒しなきゃならなかった行動」の犠牲になった人間に対してちゃんと責任を果たせ。自戒すると言うのはそれぐらい重い思いをしなければならない言葉なのだ。

それができないなら自戒なぞせずにヒールになっていただいた方が何ぼかましです。
そう、おいらのように。(ぉ

---

まぁ、ブログに関しては「自戒」と言う言葉になるんだが、これが社会生活の場になると「謝罪」と「感謝」と言うものにも同様の側面がでてくる。

何か相手が起こってるから、自分がなにかミスしたからとりあえず謝っておく、とか。
相手に何かしてもらったからとりあえず感謝の言葉を言っておく、とか。

言わないよりは言った方がなんぼかましだと言うの短期的にはそうなんだが、
長い事「言うだけ」状態が続くと「謝罪」や「感謝」の言葉はどんどん風化していく。

謝罪をするなら、謝罪に伴ってしなければならない行動が必ずある。
感謝をするなら、たまにで良いから感謝を形にしとけ。

言葉は大事なものだが、しかしそれは人と人とのコミュニケーションのほんの一部分でしかないって事をわすれるなよ。
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bullet020.gif2005年09月06日

■ 社会や組織の問題をモラルで語る癖をつけるな。 ■

一旦、モラルで語る癖をつけると「〜するべき」と無条件に誰かに何かすることを押し付けがちになる。

確かにモラルと言うものが大事になるときもある。

でも、大体の場合、組織や社会の問題と言うのは以下の二つの要因で生まれるものである。

 @彼我の利害の対立。
 A欲求と技術の対立。(大体の場合、技術が欲求におっついていかない事によって生ずる)

そして、これらの問題に関してモラルと言うものを前面に出して話すのは非常に危険である。どちらの場合も根本的な解決にならないし、だれかに(モラルの名の下に)無償で何かをさせる、あるいは、誰かを悪玉にすえる事で、新たな問題を生じさせかねない。
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bullet020.gif2005年09月04日

■ 日次報告 ■

 組織の動きを円滑するのにはどーしても、適度なコミュニケーションが欠かせない。
 コミュニケーションが薄すぎれば、組織内の人間同士の情報に予期しないギャップが生まれるし、逆にコミュニケーションが濃すぎれば、不必要な情報のやり取りや整理で実際には実行に割かなければならない時間を割く事になってしまう。

 で、日次報告の話になるのだが。
 
 どうも、おいらが見る限り、日次でなにか報告すると言う事は、結構敬遠されている事が多いと思う。
 部下の立場からすると上司に毎日何か報告しなければならないのは億劫だし、上司の側からしても、部下から日次報告を受けると言うのはその都度何らかのアドバイスなり対処なりを考えなければならないので結構面倒なんだろう。

 でも、そんな中でいても、自分の所属するPJがうまくいっていないと思うんであれば、自分がどんな立場でも、日次で下に報告させる、あるいは上に報告する(あるいは両方やる)事をお勧めする。

 日次報告のイメージがつかめないのであれば、以下の点に注意してやると良い。
 @報告は定時ごろに行う。(フレックスであれば、最初に帰る人間(もしくは自分)の帰宅時間直前に行う。)
 A報告時間はメンバー1人1分程度とする。(長くなるときは長くなっても仕方ないんだが、あんまり長くだらだらやらない。)
 B別にチーム会議形式をとる必要はない。上司なら、最初は自分から席に行って「どんなかんじよ?」とやるのもいい。
 C特に何も無ければ「特に何もないです」と言うのも立派な報告です。
 Dネガティブな報告を受けても決して怒らない事。
 E何か成果物や資料が出てくるような仕事の場合は必ず上司が見れるところにそれを置く。乃至は置かせる。

 以上の要領を守って日次報告をやる事で、得られるメリットは以下のとおり。
 @部下の状況を逐次把握する事で、小さなミス(または、スランプなどのネガティブな要素を全て含む)の蓄積が大きな事件に発展する事を未然に防ぐ事ができる。
 A上司や部下と細かくコミュニケーションをとることである程度相手の癖や性格をつかめる。
 Bいざと言うときに言葉の行き違いが生まれにくくなる。

 …といった感じか。何れにせよ、なんかうまくいかないと思ったら、日次報告する(させる)のがいい。即効性のある薬ではないが、じわりじわりと効いて来るはず。

posted by ウィル at 18:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | メモ

bullet020.gif2005年08月14日

■ 「質より量」と「量より質」 ■

どちらの主張についても、組織や社会に適用する場合にはデメリットがある。

「質より量」を重視してしまうと粗悪なものの氾濫が良質な少数のものを
圧殺してしまう可能性がある。

「質より量」を重視してしまうと良質なものに発展していく可能性のあるものを
その芽が出る前に刈り取ってしまう可能性がある。


どちらの問題も「可能性の問題」であるが、この問題で一番問題なのは
どちらの論者も自らの主張する論のデメリットを軽視しがちな事である。

posted by ウィル at 23:18 | Comment(0) | TrackBack(0) | メモ

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